父親が商売をやっていたときに、町内会長を
やらなかったという理由から
(班内のやり取りや経緯を知ろうと
する事なく)、気に入らないからといって
商品を買わなくなる=ボイコットされた
父親は、気にする素振りは子供である
自分には極力見せなかったが、
「この事は絶対忘れるなよ」
と、自分に言い聞かせてくれた。
その後、自分が商売の跡を継いだあとも、
ボイコットした人間は一切買うことは
なかったし、買ってほしいとも思わな
かったから、気にすることもなかったけど。
ただ、子供心に思ったのは、
「自分の行動や行いによって、自分の行動の
正しい、正しくないに関係なく、それを
受け止めた人間が不快感を感じたこと、時は
生活を脅かす可能性がある」
ということ。
人間的には、自分らしく、そんな人は
放っておけ、気にしない、そんな人のために
時間を使うのはもったいない、自分のために
時間を使おう、ってとこだろうか。
しかし、これが生活という視点にすると、
ボイコット、つまり買わないことで、
売り上げが落ちる。一ヶ月だけならともかく、
買わなくなったらずっとだから永遠にゼロ。
しかもボイコットされて相手が買わない気満々
だし。一人ならともかく、賛同したり
同じことを思った人間も同様に買わなくなる。
そうなると生活が確実に困窮に近づく。
子供心にそう思ったものだ。
この体験からだろうか、何かと自分に対して
我慢してしまうようになった。
つまり、言いたいことが素直に言えなくなってしまった。
言わないのは自分のせい、人のせいにするな、
と思ったことなんて何度もあるし、
他人からしても同じことを言われるだろう。
でも言えなくなるんだから理屈抜きなんだよ。
自覚できただけでもまだマシだと思う。
色んな本を読めばなにか変わると思って
読んだりした。
気は多少楽にはなったが、言うことが
できることにはならなかった。
察してしまうのだ。空気を読んでしまう。
なのに、気が付かないときは全く気が
使えないという最悪な状況。
相手を傷つけることになったとしても、
自分を優先して言うべきなのかもしれないが、
大事な人ほど傷つけて失うことが怖い。
ただ、大事な人ほど言わなくてはいけない事が
多くある。
そのジレンマにも陥っている自分がいる。
自分のたった一度の人生、
なんて簡単に言うけど、言えないんだから
しょうがない。損してることが分かってても
言えないんだからしょうがない。
言うことで負うであろう心の傷よりも、
我慢するほうが耐えられてしまうのだから。
言うことで、どう感じるかは相手次第、
分かってるけど言えないんだよ。
もしかしてこういうのって何かの障害って
事なの?
ほんと分からない。
これが原因で自分の環境が崩壊して
しまわないか怖くてしょうがないのだ。
~追記~
この記事についてはなかなか心の整理がつかず、
追記を続けるという形でできるだけ自分の中の完成に
近づけていきたいと思います。
目次