言葉を添えるとかえって駄目になるので(笑)、あえてこのまま。
「ひとまず」カテゴリーアーカイブ
Instagramのハッシュタグ
ちょっと混乱しておりまして。
キャプションにつけるといいのか、
コメント欄に付けるといいのか…
どちらでもいいんですが、
最終的に、ハッシュタグ検索で、
検索に引っかかるようにしたいのですよ。
ハッシュタグ自体は、どちらに入れても
リンクこそしているものの、
検索に引っかからなければ意味ないような気もするし。
一体どうなんでしょ。
色々やってみることにしてみます。
育ってきてる\(^o^)/
先日、掛川花鳥園に行ってきて
買ってきた観葉植物?が、
数日経って、葉っぱだろう部分が
丸々として生き生きしてきてます。
このまま長く育ちますように。
#ハリネズミの形 #育ってきた #観葉植物のある暮らし #掛川花鳥園 #観葉植物インテリア #育ちますように #観葉植物
掛川花鳥園にて
息子のトレーニングマッチを観に浜松へ
今日も息子のトレーニングマッチを 見に行こうと、学校へ
向かっていたら、 連絡が来て、「俺、明日は浜松」って 言われ、
え、マジかと言いつつも、 娘の部屋経由で、
浜松開成館総合グラウンドへ。 相手チームもプリンスリーグに
いるだけに、見た印象も強いのが分かりますよ。
もちろんトップチームではないんで しょうけど。
一生懸命プレイする姿は いつ観ても良いものです、と、
親バカですわ。
いつものようですが、息子は写ってませんから(笑)
#浜松開成館 #浜松開成館総合グラウンド #東海プリンスリーグ #サッカー #トレーニングマッチ #当たり前だけど相手チームは強い #親バカです
ピエール瀧が笑ってはいけないのか? 「罪と友情」を混同する人々へ 石野卓球の態度から学ぶべきこと
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64407
自分の感じたことに近い(偉そうに近いなんて言ってすいません(汗))、と思った記事が出てきましたね。
前回書いた私の投稿はこちらです。
そうなんです、罪を犯したことは間違いなく許されません。それに対してはいろんな形で償いや責任を果たす、と言うことが求められるでしょう。
それは、一般人の自分を含めた方々からは想像もできないところで責任を負わないといけないところもあったりするでしょう。
それは、犯した本人の話。
だからって、石野卓球さんと再開した際の写真で、笑顔をみせて写真を取るということで批判されるというのは別の話なんですよね。
常に反省してますって顔していなきゃいけないってわけでもないでしょ。
記事のようにうまくかけるであろうはずもないので短くしますが(汗)、罪の部分とそれ以外の部分、それを取り囲む部分をある程度話して考えていかないと話が進みませんよね。
罪については(人それぞれ犯した罪は違うので)それぞれの形で償っていく、私生活については普段の生活を維持する、周りの環境はそれについてのサポートをする、または罪について責任を全うさせる(これはこれで大事だと思う)、ことで本人の更生やこれからの人生がまた開けていくのではないかと思う。(ただし結果として成功するのかどうかは別ですけどね)
サポートするというのはなかなかできないように見えて案外簡単かもしれない、笑顔で会って話を交わすだけでもサポート、些細なことでも普段どおりのことをするされるのが身近だと思いますね。
もう桜が見頃を過ぎてる…
実はここ、住んでる所ではないんです。
高校生の息子のところに来たのですが、
住んでいるところから約、南に100キロの
ところに来ています。
残念ながら今日は昼から雨模様。
住んでいる飛騨高山では、4/14.15と、
春の高山祭がありますが、
桜は間に合いそうにないかな(汗)
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LINEトークを
メールとかって言ってる人がいるけど、
ああ、メールの概念が変わってきた
のかな、って思ったりする。
自分の思うメールというのは、相手が
メールを送信しても、受け取る人が
そのメールを受け取る動作をして
はじめてメールの内容が読める、
という感覚。
また、LINEがメジャーになりすぎたけど、
あの類のものは、チャットツールだと
思っていて、自分がそれを使い
はじめたのは、当然スマートフォン
なんてなかったから、パソコンの
チャットツール、ICQなどがそれだと
思ってる。
これを今風に言えば、プッシュ通知型のメールってことか。。
なるほどな、って腑に落ちた部分はあるんだけど、
メールは、送信側が送信した時間に
関係なく、受信側が操作をしないと
メールが分からないけど、チャットツールは
送信側が送ると同時に相手にすぐ、
リアルタイムに届いてしまう。
しかも、届いたで!っていう通知も
お知らせ付きで。
(もちろん、通知をオフにはできるけど)
だからこそ、送信する側よりも
受け取る側が注意しないと、周りに
迷惑を掛ける可能性があるかも、って
思ってる。
相手が何をしてようと、内容が届くから。
あ、でもそんな事いちいち考えなくても
良いのかもって思うようになってきた。
いつ届いても、どう感じるかは受信した
人によりけりだからね。
言いたいことが言えない
父親が商売をやっていたときに、町内会長を
やらなかったという理由から
(班内のやり取りや経緯を知ろうと
する事なく)、気に入らないからといって
商品を買わなくなる=ボイコットされた
父親は、気にする素振りは子供である
自分には極力見せなかったが、
「この事は絶対忘れるなよ」
と、自分に言い聞かせてくれた。
その後、自分が商売の跡を継いだあとも、
ボイコットした人間は一切買うことは
なかったし、買ってほしいとも思わな
かったから、気にすることもなかったけど。
ただ、子供心に思ったのは、
「自分の行動や行いによって、自分の行動の
正しい、正しくないに関係なく、それを
受け止めた人間が不快感を感じたこと、時は
生活を脅かす可能性がある」
ということ。
人間的には、自分らしく、そんな人は
放っておけ、気にしない、そんな人のために
時間を使うのはもったいない、自分のために
時間を使おう、ってとこだろうか。
しかし、これが生活という視点にすると、
ボイコット、つまり買わないことで、
売り上げが落ちる。一ヶ月だけならともかく、
買わなくなったらずっとだから永遠にゼロ。
しかもボイコットされて相手が買わない気満々
だし。一人ならともかく、賛同したり
同じことを思った人間も同様に買わなくなる。
そうなると生活が確実に困窮に近づく。
子供心にそう思ったものだ。
この体験からだろうか、何かと自分に対して
我慢してしまうようになった。
つまり、言いたいことが素直に言えなくなってしまった。
言わないのは自分のせい、人のせいにするな、
と思ったことなんて何度もあるし、
他人からしても同じことを言われるだろう。
でも言えなくなるんだから理屈抜きなんだよ。
自覚できただけでもまだマシだと思う。
色んな本を読めばなにか変わると思って
読んだりした。
気は多少楽にはなったが、言うことが
できることにはならなかった。
察してしまうのだ。空気を読んでしまう。
なのに、気が付かないときは全く気が
使えないという最悪な状況。
相手を傷つけることになったとしても、
自分を優先して言うべきなのかもしれないが、
大事な人ほど傷つけて失うことが怖い。
ただ、大事な人ほど言わなくてはいけない事が
多くある。
そのジレンマにも陥っている自分がいる。
自分のたった一度の人生、
なんて簡単に言うけど、言えないんだから
しょうがない。損してることが分かってても
言えないんだからしょうがない。
言うことで負うであろう心の傷よりも、
我慢するほうが耐えられてしまうのだから。
言うことで、どう感じるかは相手次第、
分かってるけど言えないんだよ。
もしかしてこういうのって何かの障害って
事なの?
ほんと分からない。
これが原因で自分の環境が崩壊して
しまわないか怖くてしょうがないのだ。
~追記~
この記事についてはなかなか心の整理がつかず、
追記を続けるという形でできるだけ自分の中の完成に
近づけていきたいと思います。